メジロが来た 3.12.19
先日、バードフィーダーを薔薇の咲いていない冬の時期に下げてみた。ところがなかなか鳥は来ない。スズメが来てくれると良いと思っていたのだが、全くその気配もない。
娘が昨日果物を入れる鳥の吊るしカゴを持ってきてくれたので、木に下げてみたらなんとメジロが・・・!
その後、もう一羽連れてきた。きっとつがいなのだろう。その一羽は、近くで見張りをしているかのようにバーにとまっていた。
航空公園散歩 3.12.15
写真を撮った所だけ紹介!
航空公園の駅前には名機YS11が! そして林の中の木漏れ日に光る落ち葉
「生きている化石!メタセコイヤ」の並木 航空公園南東の入口付近!池を囲むように!
思い出リサイクル その2 喪中はがきが来る季節3.12.14
私は、後悔はしない人間だと思っていた。だが、「あーすれば良かった。こーすれば良かった。」と愚痴はよく言う。愚痴を言うと忘れることが出来るからだ。
自分が歳をとって、生きていく時間が少なくなってくると、どうも人間は後悔するものらしい。
年の瀬が近づいてくると、喪中はがきが届くようになる。いつか会いに行こうと思っていた人の死亡通知が届くと、後悔するのだ。
私に会いたいと思う人がいるかどうかはわからないが、私は、多くの人と会って話がしたい。それなのに、話が出来る人が少なくなっていく。
先日も昔一緒に働いていた先輩が亡くなったことが書かれた喪中はがきが来た。もう会えないのだから思い出すしかない。思い出すことでご無沙汰のお詫びにしたいと思った。
私がその先輩と一緒の仕事場に居たのは、私が30歳頃だから、先輩は50歳を過ぎていたと思う。私が移動したときに先輩は退職にあと数年というところだった。
一番印象に残っているのは、先輩が担任している子供が悪いことをして職員室に来たときのことだ。初めは、平然としていた子供が自分の非を認めようとしないのを見て、先輩は烈火のごとく怒った。あまりの恐さに子供はとうとう泣き出して謝った。
その時である。先輩は、「よし、よし、よくわかったな!えらいぞ!」とニコニコと優しい顔をしてして子供を抱きしめたのだ。私は、とても感動した。子供は、どこかで自分の悪いところがわかっているのだが、その気持ちをごまかそうとする。そして、ごまかしてしまえば、もうそれでいいことになるのだ。そうして、嘘をついたり悪いことをしても平気な人間として育つのだ。
だから、周りに居る大人がそれを是正する必要がある。先輩のやり方が全てだというわけではないし、皆がそうしろというわけでもない。しかし、子供によっては格段の効果があると思うのだ。
いろいろな経験を通して子供は大人になる。叱られることも含めて、いかに良い経験をさせるかで良い人間に育つと思うのだが?
もう一つ思い出に残っているのは、ペアを組んで一緒にテニスをしたことだ。その当時、学校対抗という教員のスポーツ交流がよく行われていたのだが、その時にペアを組んで全勝したのだ。
教員のテニスの学校対抗戦は、ソフトテニスなのだが、当時私は現役で社会人軟式テニス大会に出ているときだったので、いいプレーをすることが出来た。
先輩は、勝つことももちろんだが、一緒にプレーをすることがとても楽しそうだった。真剣にプレーし、1プレーが終わると満面の笑顔になる。その笑顔が忘れられない。
ありがとうございました。御冥福を祈り、合掌!
子供の作品に優劣を付けるのはどうか?について 3.12.6
町会の文化祭で募集した子供の俳句・川柳について表彰することについて「子供の作品は、全て素晴らしいものなのだから優劣を付けるべきではない」という意見が出た。
「その考え方ももっともだと思うが、励みになるのではないかと考えて行ったものだ」ということで承認してもらった。
しかし、私自身は、先日記載した「順位を付けない徒競走」のような考え方なので、競うことはいいことだと思っている。大人がどう導いていくかで、その結果は違うと思うからだ。
よく運動のできる子や勉強の出来る子が、できない子を排除したり馬鹿にしたりすることがある。教員は、それを変えていくことに多くの時間を費やすのだが、運動や勉強をしない方がいいというわけではない。競争を良い方向にもっていく、もし競争から悪い結果が出たとしてもそれを是正していくことによって、子供は成長していくのだから、そのことに目を背けてはいけないと思うのだ。
表彰時に概ね次のように話した。(うろ覚えですからちょっと違うかも?)
「AIに人間が仕事を取られてしまう場面が多く見られるようになってきた。
この先人間がAIに負けない力を付けるためには、感性を高めるしかない。感性こそが人間がAIに勝てる力だ。
感性を培うには、子供の頃からの経験や原体験が欠かせない。子供の小さな気付きを大切にして、好奇心を育てていかなくてはならない。
そのためには、親や周りの人やモノなどの子供を取り巻く環境が大事だ。良い感性を発揮できている子供は、親のおかげとも言える。
子供は、そのことを感謝しながら小さな発見を気付きを感じ、感性を高めていって欲しい。人間の将来をよりよく豊かにしていってくれるよう願っている。」
大谷翔平のマンダラチャート 3.12.1
「徒競走」話からふと大谷翔平のマンダラチャート(目標達成シート)のことを思い出した。
大谷翔平のマンダラチャートをご存知の方は、多いと思うが、その中の「運」について考えてみたい。
1ゴミ拾い 2部屋そうじ 3審判さんへの態度 4本を読む 5応援される人間になる 6プラス思考 7道具を大切に扱う 8あいさつ
となっていて、それが運につながると考えているようだ。
運をつかむ行動だけで運がつかめるかというとそうでは無いと思う。例えば、「人間性」や「メンタル」の中にもとても良い言葉がある。
人間性 1愛される人間 2計画性 3感謝 4継続力 5信頼される人間 6礼儀 7思いやり 8感性
メンタル 1一喜一憂しない 2頭は冷静に心は熱く 3雰囲気に流されない 4仲間を思いやる心 5信頼される人間 6波を作らない 7ピンチに強い 8はっきりとした目標目的をもつ
これらの全ての言葉は、「前向き」であることがわかる。
人間は、何か自分が目指す目安となるものや言葉があると、それに向かって前向きに努力することで目指す姿に成長することが出来る。その行為が「運」を引き寄せてくれるのだと思う。
2021.11.28[今週のしあわせ言葉]に、ゲッターズ飯田「前に進んで悪い結果だったとしても、それを機に運命や運気は変わっていきます」というのがあった。
内容は、「前に進むということは、良いことも悪いことも受け入れるということ新しいことに挑戦するときや、前に進もうとするときは、全部が全部、必ず良い結果が出るとは限りません。前に進もうとするときは、悪い結果があるかもしれないということを覚悟しておきましょう。
でも、その一歩は、現状に不満があったり、現状を変えたいという思いからの一歩なので、もし踏み外して今よりも悪い状況になったとしても、それは前に進んで起きた結果。何もしないで、前にも進まないで起きた悪い結果ではありません。
悪い結果だったとしても、それを機に運命や運気は変わっていきます。何もしないで、現状を変えず、前に進む勇気がないのとは違います。
ただ、前に進みたいのなら、良いことが起こるかもしれないし、悪いことがあるかもしれないことを覚悟して進んでいけば、人生は変わっていきます。
前に進むときは、そういうこともあることを覚えておいておきましょう。」とあった。
大谷翔平は、高校1年生でもうこのことを実践している。
だから、「運」も手に入れているのだと思う。
努力無くして「運」もなし、良い行い無くして「運」も無し、自分だけの事だけでなく人のために行うことなくして「運」もなし・・・神谷
またまた「順位を付けない徒競走」の話題が 3.11.29
広島市での話題でネットに載っていた。(体育をやっている人は、「徒競走」ではなくて「短距離走」と呼ぶ。しかし、一旦根づいた呼び方はなかなか換わっては行かないという良い例だ)
以前から何回も話題になったことだが、順位を付けない方が良いというのは、負けた子が可哀想だというのだろうか?
マイナスの面ばかり考えるからそういう意見が出てくるのだと思う。どうして、プラスに考えないのだろうか?
走ることにはいろいろな楽しさがある。競う楽しさ、自分の記録に挑戦する楽しさ、友達と走るたのしさ・・・それらのことを無視して楽しさを教えないで嫌なことから逃げさせているとしか思えない。
子供には様々なプラス面がある。走るのが遅くても勉強が出来る子、音楽や絵がうまい子・・・!何で一面だけで子供を見ようとするのだろうか?
だったら、勉強の成績も付けなければいい。一生子供を守ってやればいい。そして、いつまでも自分を見付けられない大人にするがいい。
勝った子は、大きくなると自分より速い者がいることを知り、努力し人を助けることを学ぶ。
負けた子は、自分を伸ばすためには努力しなくてはならないことを知り、人に役立つことを学ぶ。
それ教えていくのが教育だと思うのだが?
本考24 天気と気象大図鑑から3.11.28
その中から意外と知っていても忘れているかも知れない「海」の大きさと「水」の量
水は、蒸発しては雨や雪となり地上に落ちて循環しているが、その有り様を知らない。だから、ありがたみも感じないのでは?
太陽の地球への出入りや宇宙との間に起こっていることが載っている見ているだけで楽しい本なので、一見の価値がある。
散歩中に目に入ったイチョウ並木3.11.18
作品できました3.11.3
とりあえず、写真をアップします。
左 スマホ置き「我が家の猫」 右バードカービング「スズメ」
本考23 本の中から 10.31
町会の文化祭の準備と作品づくりに追われて、なかなかアップが出来ないでいました。できあがったら作品の写真を掲載したいと思うのでご期待?を。
それでも、本は読んでいるので、その中から紹介を兼ねて、思い出したことなどを書いてみました。
「おじさんはどう生きるか」松任谷正隆/著
評判なのは、芸能人で作曲家でプロデューサーユーミンの旦那さんだからかと思った。
中身は、タイトルなどを統一してまとめてあるが、一番面白かったので巻末にあるジェーン・スーとの対話だった。
「20CONTACTS]原田マハ/著
作者本人が、物故作家20名の元に訪問するという想像インタビュー物語
「なみだ」編集本で、様々な作家の作品が集められている。読む本が無くなると、このようないろいろな作者の代表的な本を読んで、よかった作者の本を図書館で借りて読んでいる。
「10代のための読書地図」「いのちへの礼儀」・・・は後日!
今回は、吉田健一随筆集に触れてみようと思う。
文学、旅、酒、食、友・・・様々なジャンルの内容の随筆集だ。
後半になると「酒」の話題が盛り上がってきて、最後の「酒宴」は、酒飲みにとっては面白かった。
たまたま飲んでいるとき一緒になった酒の鑑定のために東京に来た灘の大きな酒造会社の技師と話し始めてから、酒を飲み酒談義となり、ついでに帰る時一緒に行って会社見学をし、酒宴に招かれるという話だ。
その宴会で、献酬という酒のやり取りをする場面が出てきて懐かしく思った。いまでは、コロナでそんなことは考えられない時代になった。
献酬というのは、いわゆる「ご返杯」というやつで、この話の中ではそれが止めども無く続くのだから恐ろしい話だ。
それで思い出したのは、初任者の頃体育部の飲み会でのことだ。乾杯が終わると参加者ほとんど全員が、正面に陣取る部長始め来賓などお偉方に注ぎに行くのだが、当時の部長だったか前部長だったか、大野さんのところに注ぎに行った時だ。
空いているコップに私の持っていたウイスキーを注げと言うので注いだら、もっと一杯になるまで注げとい言う。すごい人だなーと思ってなみなみと注いだら、「おまえ飲め」と突き出された。
その時は、若かったので一気に飲んだが、考えてみれば恐ろしいことだ。今では一合の酒をチビチビやるだけで、良い気持ちになるのだから笑ってしまう。
若いときは、日本酒一升も飲めたが、本当に昔の話である。
平等とは? 3.10.3
教員は、なんで「平等、平等」と言うんだろう・・・という話から思った。
人間は、全て平等なんてあり得ない。平等に与えられるのは、生きる権利だ。
同じ事をやらせようとしても、出来る人と出来ない人とがいる。だから、出来ない人に平等に仕事や役割を与えても出来ずに逆にみんなの足を引っ張ることになる。
教員時代に何でも平等にというお母さんがいて、給食も平等に配れという。みんな同じ給食費を払っているから同じだけの権利があるというのだ。
以前、ある学校で給食に関しての研究をしていたことがある。その学校では、すべからく同じように食べさせるというのが目標だった。
そのおかげで、とても苦しんだ子供たちがいた。食べきるまでは残って食べなくてはならず、遊ぶことも出来ないさらし者になった。
自分が小学生の時もそうだった。どうしても食べられないものがあって残って食べさせられていたとき、代わりに食べてくれた友達がいた。その時は、本当に神さまみたいに思えたものだ。(まあ、好き嫌いといえば、それまでなんだが)
だから、私自身が子供たちに強いることがとても辛かった。食べる権利はあるんだから全員が食べることはいいとして、食べる量には違いがあって良いはずじゃあないのだろうか?と思った。
しかし、その学校で経験したことは無駄ではなかった。その後勤めた学校では全くそんなことをしないで済んだからだ。
低学年では、まず初めに全員に少しずつよそる。そして、おかわりをして良いことにする。もちろん、私が一番におかわりをする。そうすると子供たちは、先を争っておかわりをするようになる。少ししか食べることが出来ない子も好き嫌いのある子も周りにつられて頑張っておかわりをするようになる。いつも先生のクラスは、残菜がありませんね!と給食の主事さんに言われた。
中高学年になると、自己申告でよそってもらうようにした。自分の食べることの出来る量を申告してよそってもらうのだ。自分の言った量は責任を持って食べるのだ。
欲張って多くよそりすぎて吐きそうになった子もいたが(笑)しかし、子供たちは、そうして自分の食べられる分量がわかってきたのだ。
子供の時に様々な「自分で決める」ことを経験を通して学んだ子供は、自分に負けない強い子に育っていく・・・
そんなこんなを考えて、「なんで私がやらなきゃならないの?」と思う人は、いつも平等を求めていて他の人との比較をするから、どうしても「ねたみ、そねみ、うらみ等」をもってしまう。だから、幸せではないんじゃないか。
「誰かのためになるのなら私がやろう」と思う人は、いつも誰かのために役立つ気持ち、貢献感をもち他の人との比較なんかをしない。だから、いつも幸せなんじゃないか。
と、思った。
本考22 ベスト・エッセイ2020の中から 3.9.26
いくつも心に響く文章があった。その中から「動物の命を思う夏 管啓次郎」を紹介したい。(管啓次郎 明治大学教授・比較文学者・詩人)
お盆をすぎて燃えるような暑さがやや騎りはじめたころ、大阪に行った。天王寺動物園の「戦時中の動物園」展を見るためだ。かつて殺処分された動物たちの剥製の展示。ブチハイエナがいる、シマハイエナがいる、ピューマ、虎、ライオン、北極熊に豹がいる。
一九四三年九月が、かれらの受難の月だった。
それ以前から非常時に逃亡する恐れのある猛獣の処分が話題になっていたが、七月、ドイッのハンブルクが大空襲を受け、有名なハーゲンベック動物園が八割方破壊されたという報せが飛びこむ。猶予はなかった。あるいは、そんな気分にさせられた。そもそも食糧不足の時代だ。代用食や絶食を強いられていた猛獣たちは、毒入りの餌を与えられ、食べて死んだ。
一頭の豹だけが、毒餌をどうしても食べようとしなかった。豹を子供のようにかわいがっていた飼育係が首にロープをかけた。豹は他の職員たちにより絞殺された。むごい話だ。
並ぶ剥製動物たちは、そんな歴史を沈黙のうちに背負ってきたのだ。恐るべき喚起力をもっている。今はガラス玉の目をもつ豹に問いかけてみるといい。きみの生涯を話してください。ヒトという動物をどう思いますか。戦争とはヒトの生殺与奪権を国家がにぎる恐ろしい機会だが、動物たちの生殺与奪権はつねにヒトが独占してきた。そしてヒトは、ふだんそのことの正当性を疑いもしない。
その半月ほど前、南相馬に行った。「動物と震災」と題された、ライフミュージアムネットワーク主催のスタディツアーに参加するためだ。海岸部に新設されたばかりの野生動物焼却場を見学したあと、半杭牧場を見せてもらった。四十頭の乳牛を飼っていた酪農家だが、原発事故後、牛たちを置去りにして避難せざるをえなかった。
今はきれいに片付けられた明るい元牛舎に入れてもらい、いきなり強い衝撃をうけたのが、つながれていた個々の牛の首が届く範囲内にある木製の柱だ。食べるもののない牛たちは必死に首を伸ばし木を鰯った。鰯られた部分だけが極端に細くなり、流木を思わせる不思議なかたちになっている。牛たちの飢えの痕跡が、無音で悲鳴を上げているようだ。
その場で牧場主・半杭一成さんの体験談を聞いた。牛舎をそのままにして避難するとき、牛を放ってゆけば牛たちには生存のチャンスがあった。だが牛たちが他の牧場に入ってゆくと迷惑がかかるという気持ちから、それはできなかった。つながれたままの牛たちが餓死していることはわかっていた。
七月になって牛舎を初めて開けたとき、そこは暗闇だった。空間をびっしりみたすほどの数の蝿がいたのだ。牛たちの死体は、おなじくらいの高さまでの蛆の海に浸っていた。
隣の牧場でも乳牛はぜんぶ死に、死体は豚に食い荒らされていた。ところが中に一頭だけ、明らかに他よりは新しい死体がある。そして驚いたことに、そのそばに一匹の生きた子牛がいたのだ。 飢餓状態のまま出産した牝牛が最後まで生きていたということか。子牛はつながれていたわけではないので、衰弱した母のお乳を吸い、自分で歩いて外にもゆき、命をつないできたのだろう。 なんという生涯。あたりをみたす死の中で、ぽつんと生まれ生き延びてきた、比類なき孤独の子。
なんとも強烈なイメージだ。ヒトは人類史の全体にわたり、他の動物たちを徹底的に利用しながら生きてきた。狩り、食い、飼い、奪い、働かせ、死体を利用し、かわいがり、苛め、動物たちの命をほしいままにして。だが、すべてがすべてに関係しながら生命圏が営まれる地球の有限性がここまではっきりしてきた現在、ヒトと他の動物たちとの関係を全面的に見直すことは火急の課題だ。
そんなことを考えるヒントとして、一頭の剥製の豹と一頭の不在の子牛の姿を、この夏知った。さいわい今年、注目すべき一冊の本が出版された。生田武志『いのちへの礼儀国家.資本.家族の変容と動物たち』だ。ヒトと動物との共闘を説くこの本を、最後にお勧めしておきたい。動物たちが解放されないかぎり、人間の解放もない。生命という大きな約束事の中にあって、近代以後の人間がやってきたことは明らかに度を超しているのではないか。
死から利益を得るシステムがひたすら蔓延する現代社会から出てゆくには、生命への礼儀を学び直さなくてはならない。そのことを真剣に考えていいころだ。
この文章には衝撃を受けたので、全文掲載させてもらった。他は、またの機会に・・・
散歩途中に見たお寺の掲示板のパンフレット 3.9.15
生ぜしもひとりなり
死するもひとりなり
されば人とともに住するもひとりなり
とあった
さて、生まれるときも死ぬときも確かに一人だ!
しかし、「人とともに住するもひとりなり」とは何と考えればいいのだろう?
言葉と一緒に印刷されていたのは、後ろ姿の旅する僧の姿だったから、きっと修行僧の心持ちを語ったものだとは思うのだが、老人に向けての気もちの持ち方のようにも思える。
確かに修行僧の心持ちを描いたものならば、そう考えるのももっともなことだが、普通に暮らしている人間にとっては一人での暮らしは辛いもののように思える。
自分というのは一人しかいない。人とともにどんなことをしても感じることも考えることも自分の中だけのものだから誰もその中には入ることは出来ない。
そう考えると、確かに生きているときも人間は一人だ。
だが、人とともに生きていたいのも人間ではないだろうか?
私の目指す生き方は「我もよし、人もよし、我人ともに生きる、我人のために生きる」だが、たとえ一人であっても、自分だけのためだけではなく誰かのためにも生きたいと思えば、一人ではなく生きられるのではないだろうか。
ひとりの自分、ひとりであるからこそ他とのかかわりのなかで生きている自分を考えて生きたい。
本考21 かこさとしさん 3.9.7
「未来のだるまちゃんへ」を読んだ!
この本は、このブログを見た人には、ぜひ読んで欲しい。帯に書いてある「すべての親子への応援歌!」という紹介が適切だと思う。教育に携わる人たちも必見だ!
かこさとしさんは、「だるまちゃんと・・・」シリーズで有名な絵本作家だ。実は、東大卒の工学博士で、科学者でもある。
科学絵本も多く出しているのだが、私は「からすのパン屋さん」や「どろぼうがっこう」が好きだ。
この本の紹介には「19歳で敗戦を迎え、態度を変えた大人に失望した著者は、「子どもたちのために役に立ちたい」と、セツルメント活動に励むようになる。そこでは、絵本創作の原点となる子どもたちとの出会いがあった・・・」とあるが、作者も「はじめに」で同じように書いている。
大人はもう信用できない、飽き飽きだ。自分もその一員だった。大人ではなく、せめて子供たちのためにお役に立てないだろうか。せめて自分のような後悔をしない人生を送るよう、伝えておきたい。
だんだんとそう考えるようになりました。
これからを生きていく子供たちが、僕のような愚かなことをしないようにしたい。子供たちは、ちゃんと自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の力で判断し行動する賢さを持つようになってほしい。
その手伝いをするのなら、死にはぐれた意味もあるかも知れない。
以下、心にしみた文を紹介する。
第一章 僕が子どもだった頃 より
何か子どもの問題が起こると「あんな家庭で育ったからそうなったんだ」と言いたがる人がいますが、そうじゃないんだと思います。僕に言わせれば、家庭環境がいいに越したことはないけれど、どんな家庭に育とうと、やっぱり肝心なのは本人の力であり人格であり、感性だと思うのです。
「自分がこんなふうになったのは親のせいだ」とか「世の中が悪い」「時代が悪い」と自らの不備を棚上げにして嘆いたところで、人は、生まれる場所を選ぶことは出来ません。
どんな境遇であろうと、その人の心がけ次第で、思いやりがあって、おおらかな、素晴らしい人間になることはできる。あんちゃんは、僕に後ろ姿で教えてくれたのです。
第二章 大人と子どものあいだ より
十九歳までの僕は誤っていた。これまでの自分は、昭和二十年で死んだのだ。ここから以後は、余生である。
余生というからには、先に逝った仲間たちのぶんも生きて、自らの誤りを償わなければならない。それには何ができるのかを、真剣に考え、それを実践し続ける。そのために残りの人生を捧げ尽くそう。僕は、そう決めました。
「思想」というには、それは、あまりにも脆弱だったかも知れません。しかし、それはひとつの契機となりました。
その日以後、僕は、それまでのただ嘆くだけの日々を脱したのだと思います。彷徨い続けていた僕の、それがその日以後の、最初の一歩となったのです。
第三章 大切なことは、すべて子どもたちに教わった より
子どもというのは、そんなふうにふとしたきっかけで、自分の居場所やしたいことを見つけていくものです。
最初は何をしたいのかもわからないから、そのエネルギーが悪い方に噴出することもあれば、いい方に転ぶこともあるでしょうが、それまでじっと大人がやることをよく観察していて、気に入れば、自分から積極的な行動をしてゆく生物なのだと思います。
「なんで、好きなの?」と聞けば、そこにはきっとその子だけの物語が浮かび上がってくるはずです。
子どもにはそういう秘めた力があって、糸口さえパッとつかまえたら、あとは自分自身の力で伸ぽしていく、自分で探求し伸びてゆくことが出来るのだと思います。
自分から興味を抱いたものを調べて、どんどん深めていく時の充実感というのは、その子の生きる喜びにもつながっているのでしょう。子どもの顔が急にいきいきと輝き出すのがわかります。(中略)
子どもという生き物は、それぞれに自分でも気づかない鉱脈を秘めているのです。それに気づかせてやれぽ、そこから一気に花開いていく力を持っているものです。(中略)
「君が持っている、ものすごい鉱脈はそれだよ」
そう気づかせてやることさえ出来れば、子どもは、大人が叱咤激励なんかしなくたって、自分からぐんぐん成長していけるのだと、僕は、川崎の子どもたちを目の当たりにして得た経験から、そう確信するようになりました。
だいたい、大人が「楽しませてやろう」なんて思わなくたって、子どもたちは遊びでも何でも、時間や場所さえ与えてやれば、自分でつくりだして、楽しむ力を持っているし、私なんかが紙芝居をつくって見せてやらないと、いい成長ができないというものでもないのです。
自分で楽しみを探し出し、その楽しみが次のエネルギーとなって伸びていく。
それが生きる力であり、子どもというのは、そういう生き物だと思うのです。
第四章 人間対人間の勝負 より
警ドロという遊びがありますよね。
警官と泥棒にわかれて鬼ごっこをするわけですが、子どもたちはたいてい警官より泥棒になりたがります。調べてみると、これはどうやら万国共通のようなのです。
なぜって、泥棒の方が警官よりスリルがあって、自由に逃げられるから。警官なんて、ただ追いかけるだけですからね。
それが子どもの自然であって、いいことだけじゃなくて、ちょこっと遊びの中で悪いこともしてみたい。それで『どうぽうがっこう』も人気があるというわけです。
だからって、それで非行に走るかと言えば、そんなことはない。いずれ、そんな遊びは必ず卒業していくのです。
子どもたちは遊びの中で、ちゃんとそれを乗り越えていきます。(中略)
僕は思うのだけれど、人間っていうのは生まれつきの素晴らしい人もいなければ、生まれつきの極悪人もいないんじゃないでしょうか。(中略)
子ども時代に「自分にはプチ善もあれば、プチ悪もあるけれど、どっちに行こう」って迷いながら悩みながら育っていくことが大切で、そういう中で「これはいかん」という局面をなんとか乗り越えながら、一人前の大人、一人前の社会人になっていく。
そこのところが人間の一番いいところで、それをすっ飛ばして、最初から悪いヤツはクビ斬っちまえばいいというのでは社会は成り立っていかないと思います。(中略)
つまり、善と悪、どちらかに分けることは難しい、どちらも持っているのが人間という生物なのであって、頭ごなしに「常に正しい道を行きなさい」とは、僕にはとても言えません。
人間は間違えるものだし、僕も間違えた。それをどう乗り越え、克服したかが問題なので、そこが生物としての人間のよいところなのではないでしょうか。(中略)
はじめは考えなしにやったっていい。しくじることも、あるだろう。
だけど、しまったと思ったら、次は考えろ。自分でよく考えて、自分をちょっとずつ変えていけばいい。そうして、失敗を乗り越えてゆけるのが人間で、君もその一員なんだよ。
僕はそう伝えたいのです。
第五章 これからを生きる子どもたちへ より
昔の子どもと今の子どもでは、だいぶ違うと言えぽ、違うんですけど、それは時代という生きる場の違いであって、本質的なものはそんなには違わないという気がします。
この頃はグローバルだ何だと言って、小さい頃から英語を習わせたりするけれど、英語の前に生きていく力がしっかりとしていれぽ、あとは自分の力で伸びていけるものです。
とにかく、子どもたちは生きているし、これからを生きてゆくのだから、大人は密かに声援を送っていればいいんだと思うのです。
大人の持っている尺度で「これに合わせろ」と言っても、それは今どきの大人並みにはなるかもしれないけれど、それを超える力にはならないでしょう。
生きるということは、本来、喜びでなければいけないと僕は考えます。しかし、社会的生物である人間は、生きていくことに伴う苦しみを避けて通ることが出来ません。
その時に、ただ逃げていてはダメで、やっぱりそれをまっとうに受け止め乗り越えなければならない。
そのためには「誰かに言われたからそうする」のではなく、自分で考え、自分で判断できる、そういう賢さというのを持っていて欲しいのです。
・・・今をどう生きるかで未来は変えてゆけるはずなのです。
生きるということは、本当は、喜びです。
生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。(中略)
だから僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がってほしい。
そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけて、それをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。
どうか、どうか、同じ間違いを繰り返すことがないように。
心から、そう願っています。
文庫版あとがき より
・・・特に繁忙の方や若い読者に、三つの事をお伝えしたいと思いました。
その第一は、二〇一六年六月から、十八歳以上に選挙権が与えられるようになりましたが、その時になって大人の準備では遅すぎるという事です。(中略)子ども時代から社会人としての準備をしておこうという事です。
・・・社会人として生活するのに必要な人間の観察と実体把握のよい方法があるのです。(中略)同年輩との接触から、単なる成績や人気だけではない、表裏の実像を知る事が出来ます。その級友の観察を通じて、多様複雑な人間の実像に迫る補習として活用しようというのが第二の提言です。
第三の事は、この人間の社会が、これでよいのかという問題です。(中略)最も憂うつにさせたのは、人類十万年、有史数千年に及ぶのに、未だに適切確実な方策も組織も達成できず、紛争、戦争が止む日はないという整備されぬ社会である事です。
「社会性をもつ生物」という名称は、シロアリやミッバチの方が、ずっと完備されていると極論する学者もいるのは当然。ぜひこうした点を打開し、現在と未来に生きる人々の為、整備された社会形成に力を注いで頂きたいのが、第三の私の願望です。
長くなってしまいました。この本をぜひ読んで欲しいという私の気持ちですので、邪魔だと感じる人は、読み飛ばしてください。
そして、本を読んでみてください。
本考20 子どもの自己肯定感
たまたま読んでいた2冊の本に「子どもの自己肯定感」に関する記載があったので、取り上げてみました。下の資料は、その本の中にあったもので、両方とも内閣府が行った「我が國と諸外国の若者の意識に関する調査」です。
左が2013年に行ったもので、右が2018年に行ったものです。
左のデータは、「子どもの自己肯定感が高まる天使の口ぐせ」白崎あゆみ著の中に、右が「人間の器」丹羽宇一郎著の中にあったデータです。
白崎あゆみさんは、コーチングトレーナーで、丹羽宇一郎さんは、伊藤忠商事の社長・会長をした経営者で現在は様々な学会や協会の会長をしている人です。
「子どもの自己肯定感が高まる天使の口ぐせ」は、題名通りの自己肯定感を高める方法をコーチングする内容ですが、「人間の器」は、ご本人の経験を元にどうすれば自分の心が成長できるのかを考えた本です。
他国と比べて日本の若者の自己肯定感が低いのがわかります。この2つのデータを比較しても5年間で更に低くなっていることがわかります。これは、とても問題です。不登校や自殺につながる問題だからです。
白崎あゆみさんの本の中では、そのことも取り上げられていて最終章では「自己肯定感の低さが不登校やいじめを招く」「悪魔のロぐせをやめたら不登校が解消した」と書かれています。
一部紹介します。PDFでも概要は添付しておきますが、具体的には本を読んでもらわないとわかりません。悪魔から天使へ
「ダメよ。私はあなたのためを思って言ってるんだから、言ったとおりにしなさい」
「今回のテストは98点かあ。2点足りなかったね」
「お兄ちゃんと比べたら、まだまだね」
「忙しいから、話は後にして」
子どもにこのような言葉をかけていませんでしたか。
子どもの話に耳を傾けてきましたか。
こうした「悪魔の口ぐせ」がじわじわと子どもの自己肯定感を低くしていって、ある一線を越えてしまったときに現れる結果の一つが、不登校だと考えています。もちろん、その子によって背景や理由はさまざまではありますが、不登校は「突然」ではなく「必然」であったりするのです。
また、不登校だけでなく、「うちの子がクラスメイトをいじめていたと聞いて、信じられない」「子どもが何年にもわたっていじめられたことに、初めて気づいた」などの声もよく耳にします。
自己肯定感が低い子どもは、自分より弱い立場の人に攻撃的になったり、嫌な目に遭っても「やめて」と言えなかったりする傾向があるとわかっています。そのため、いじめの加害者と被害者では正反対の状態なのですが、どちらも自己肯定感が関係しているのです。
そして、その後「悪魔の口ぐせ」から「天使の口ぐせ」への転換で不登校を乗り越えたコーチングの例を挙げています。
最後に記載してある言葉を挙げておきます。
この本で紹介してきた「悪魔の口ぐせ」は、そんなお母さんの自己肯定感の低さから発せられているものも多く、さらに、口にすることで自己肯定感をますます低くするように働いてしまいます。
お母さんが口にした言葉は、当然、お母さん自身の耳にも入っているため、「できるじゃん!」「ちゃんとして」「がんばってね!」「さっさとして!」「ダメだよ!」と子どもだけでなく、無意識のうちに自分にも言い聞かせることになっているのです。
言ってみれば「自己肯定感低下スパイラル」です。
このスパイラルを断ち切るためには、「悪魔の口ぐせ」に気づくことがとても大切なのです。
コミュニケーションは日々の小さな言動の積み重ねですから、どんなに「天使のロぐせ」を意識的に使っていたとしても、「悪魔の口ぐせ」を減らせていなければ、意味がなくなってしまいます。
仕事や家事で忙しいから、子育てにゆっくりと時間が取れないことも、日々疲れてしまっていることも、認めて、受け入れるしかないのではありませんか。こうしたことに罪悪感を抱くのではなく、短い時間の中でどうしたら子どもと質の高い関わり方ができるようになるのか考えましょう。
せっかく子どもと一緒に過ごせる貴重な時間なのですから、親子が笑顔でいられるような「天使の口ぐせ」を使いたいものです。そうすれば、子どもだけでなくお母さんの自己肯定感も高くなっていくことでしょう。それほど、言葉のパワーは大きいのです。
次に、もう一つの本「人間の器」です。そこには以下のように書いてあります。
なぜ、日本の若者は自己肯定感が低く、自信がないのか?
これは家庭や学校における教育に、何らかの問題があるということでしょう。大きな理由として考えられるのは、決まった答えを押しつけるばかりで、自由な発想を阻害する教育が行われていることではないでしょうか。
欧米では幼少期から課題を与えて自由に考えさせるという教育を積極的に行いますが、日本ではこうした教え方はあまりされません。正解が決まっているものを一方的に覚えさせるやり方では、考える力や柔軟な発想は培えませんし、自ら進んで課題に取り組む自発性や自己肯定感も育ちにくいと思います。
褒めることはその人に自信を与え、自己肯定感を高めることにつながりますが、どういう内容や文脈でそうするかによっても意味合いは変わってきます。単に褒めれば自信がつき、自己肯定感が高まるというものではないでしょう。
試験の点数がよかったから褒めるのか、競争に勝ったから褒めるのか、あるいは人とは違うオリジナリティのある発想やものの考え方をしているから褒めるのか、結果を出さなくてもベストを尽くしたことを褒めるのか……、果たしてどのようなことを重視して評価をするのか、それによって同じ褒めるのでも相手の成長や人格に与える影響はかなり変わってくるはずです。
答えが決まっているような事柄で正解ともいえる結果を出せば褒め、逆に結果が出なければ、その過程でどれほど頑張っても、何の評価もしない人がいます。
それとは対照的に、結果いかんにかかわらず、努力する姿勢そのものを褒める人がいます。あるいは正解などないようなことに対して、オリジナリティある発想をしたことを褒める人がいます。
やる気や自発性を引き出すのは、明らかに後者のほうです。
しっかりとした人間の器をつくるには、何よりも自己肯定感は不可欠です。自信の大本となる自己肯定感が高いほど器は安定し、知恵と経験を積むほどに、それは大きく広がっていきます。
自己肯定感をいかに高くするか、自信をいかにつけるか、このことが仕事や人生そのものの質を大きく左右する鍵を握っているのは間違いありません。
さすが、丹羽宇一郎さん。経営者の視点で鋭く核心を突いています。そして「 自発的でなければ、大事なことは身につかない」と続いていきます。
興味のある方は、読んでみてください。
自然の中にいる人間 R3.8.27
写真左から
ある日、知らない間に蜂の巣がベランダの下にできていました。可哀想でしたが、市販の駆除剤を使って駆除しました。アシナガバチのように毒性や攻撃性が低い種類は、個人でも対応できますが、スズメバチのように危険な蜂は個人で対応しない方がいいです。
今回のハチは、キアシナガバチという種類のハチで、身体も大きく攻撃性や毒性もあるハチでしたが、知らずに駆除しました。念のため、全身をくまなく覆い、手袋をはめ、頭から網付き帽子をかぶってやりましたし、夕方ハチの行動がおさまって巣に戻ってきていたのでジェット噴射で難なく駆除できました。
もっと、わからないような所に作れば良いのに・・・
姫辛夷の木に種ができていてビックリ!
姫辛夷だってこぶしの木なのですから拳のような実ができて当然ですが、昨年までは木が小さかったので種まで出来無かったのです。
下に植えてあるクリスマス・ローズの暑さよけになるようのにと思って植えた木ですから、来年になれば更に大きく育ち、日よけになってくれることでしょう!
昨日散歩に行っていたら突然蝉が胸ポケットの上にとまりました。なかなか飛んでいかないので、勲章かブローチのようです。
感じからすると「ミンミンゼミ」でしょうか?この暑さで、蝉もいったん休憩したかったのかもしれません。
本考19 「本日は、お日柄もよく」 原田マハ より
@スピーチに苦労している人へ
スピーチの極意十箇条
一、スピーチの目指すところを明確にすること。
二、エピソード、具体例を盛りこんだ原稿を作り、全文暗記すること。
三、力を抜き、心静かに平常心で臨むこと。
四、タイムキーパーを立てること。
五、トップバッターとして登場するのは極力避けること。
六、聴衆が静かになるのを待って始めること。
七、しっかりと前を向き、右左を向いて、会場全体を見渡しながら語りかけること。
八、言葉はゆっくり、声は腹から出すこと。
九、導入部は静かに、徐々に盛り上げ、感動的にしめくくること。
十、最後まで、決して泣かないこと。
A悲しんでいる人に
困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。
三時間後の君、涙がとまっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。二日後の君、顔を上げている。三日後の君、歩き出している。
どうだい?そんなに難しいことじゃないだろ?だって人間は、そういうふうにできているんだ。
とまらない涙はない。乾かない涙もない。顔は下ばかり向いているわけにもいかない。歩き出すために足があるんだよ。
B結婚を祝福するスピーチ
『さて。以前に一度、確か、同じ場所で、すでに披露してしまった、わが人生最高のスピーチを、あらためて捧げます。私の大切な友人、そして家族である-ニノ宮こと葉のために』
そう前置きしてから、始まった。伝説のスピーチライター・久遠久美の、ごく短い、けれど心にしみ渡る、あのスピーチが。
「愛せよ。人生において、よきものはそれだけである。
本日は、お日柄もよく、心温かな人々に見守られ、ふたつの人生をひとつに重ねて、いまからふたりで歩んでいってください。たったひとつの、よきもののために。
おめでとう。」
ただのOLだった主人公が、親友の結婚式で出会ったスピーチライターと運命的な出会いから自身がスピーチライターになり親友の選挙演説のスピーチをつくり、政権交代して結婚をするまでの物語。
選挙演説は、今の時代を予告するような内容で、奥さんがたらい回しの上流産したことを切実に訴え、今の国民の声のようで納得なのだが、、知りたい人は本を読んでください。
本考18 追悼 長谷川 卓 R3.7.31
長谷川 卓 最新作「鳶」を読んで、びっくりした。なんと、第2話「犬の暮らし」が途中で終わり次のページに逝去の報が編集部から載せられているではないか。
そして、その後には奥様の「あとがきにかえて」で長谷川卓氏の人となりが「戻り舟同心」の配役を通して語られていた。
私が、長谷川卓氏の本を読み始めたのは、「血路−南稜七ツ家」を読んでからだ。そこから、「嶽神伝シリーズ」を読み続けたのだが、これは戦国時代に生きた山の者の姿を描いた大河ドラマだ。
山の中を風のように走り、熊をも倒し、戦場の中では忍者にも負けない強い男たちの壮烈な生きざまと戦国時代の様々な支配者とが絡み合い、真の大河ドラマと言えよう。まさに「嶽神」と呼ぶにふさわしい山の男たちの生きざまだ。
私が初め気に入ったのは、もちろん飛び抜けて強い主人公たちだった。伊賀忍者との死闘は鮮烈で、鶴喰と呼ばれる伊賀者でも怖れる忍者や飛び加当と呼ばれる伝説の忍者をも倒すのだが、それよりも気に入ったのは、男のロマンともいえるその主人公たちの山の者としての暮らしぶりだった。どんなところでも草庵を建て山の恵みを大切にして生きる姿だ。
嶽神伝の中でも「無坂」を主人公にしたシリーズが一番好きで、文庫本の最後に出たのが「嶽神伝 風花」で、無坂が壮烈な最期を遂げるまでの物語なのだが、その戦いの恐ろしさもまた心を揺さぶられる。
無坂の最期を感じ取った無坂の倅の龍五に於富(無坂の妹の義母)が言う「無坂は嶽神だった。心があった。力があった。山の衆を引き連れて動くことはなかったが、先頭を走る男だった。それは立派な嶽神じゃ。あしらが、久津輪衆が、いや、木暮の者たちもだ。こうして今を生きていられるのは、皆おめの父さ、無坂の背子のお蔭だ。あんなに強くて、優しくて、清々しい男は滅多にいるもんじゃねえ。いいか、龍五、父さのような山の衆になれ。なって、おめも嶽神になれ」「・・・・・なる」(中略)「俺は」と龍五が、於富の大叔母に言った。「父さを誇るよ」
「誇れ、誇れ。いくら誇っても誇り足らんだろうがな」・・・・・
さて、私自身は死んだら誇りに思ってもらえるのだろうか?それは、やはり生きざまにかかっているのだろう。別に偉くなることでもお金持ちになることでもない。自分の生き方で全力で生きることなのだろう。後悔!反省!焦燥!振り切って今を生きることに。
「嶽神伝」のラインアップを時代順に紹介しておこう。(私は、文庫本の出た順に読んでいるので、風花を最後に読んだ。)1から6までは、武田の信濃侵攻から滅亡までを背景にした物語 7は、滅亡の後日諌 8は、秀吉の賎ヶ岳の戦いから北条征伐前夜までを背景にした物語である。
1嶽神伝血路(主人公南稜七ツ家のニツ) 2嶽神伝無坂(主人公木暮衆の無坂) 3嶽神列伝逆渡り(主人公四三衆の月草) 4嶽神伝孤猿 5嶽神伝鬼哭 6嶽神伝風花(4、5、6の主人公は木暮衆の無坂) 7嶽神(主人公涌井谷衆・蛇塚の多十) 8嶽神伝死地(主人公南稜七ツ家のニツ)
嶽神伝で長谷川卓氏の時代小説が気に入った私は、同心モノを読むことになる。「高積見廻り同心御用控」シリーズ、「北町奉行所捕物控」シリーズ、「戻り舟同心」シリーズと呼んだが、その中でも「戻り舟同心」シリーズが大好きだった。
多忙を極める南町奉行所が、増え続ける未解決事件に対処するため、元定町廻りの二ッ森伝次郎に再出仕を要する。、伝次郎は早速、一癖も二癖もある往年の腕利き連中を集める。そして、ついた仇名が“戻り舟”となるのだが、正式には「永尋掛り同心」という再任用同心である。
ここが、自分の年齢と近いので切実で面白い。錆び付かぬ爺たちが活躍するのが痛快なのだが、なんと言ってもその主人公たちのキャラクターが大好きだ。詳しくは、「鳶」の巻末に書かれている奥様の「あとがきにかえて」を参照して欲しいが、鋭く粘り強く経験豊富な68歳の主人公二ツ森伝次郎、食いしん坊な孫の正次郎、生真面目人間の息子・新治郎、その他にも女装が趣味の花島太郎兵衛やストイックに剣の道を追求する剣豪同心一ノ瀬八十郎とその娘でやはり使い手の真夏、そしてその周りを固める岡っ引きや手下などの面々が心情をからめて描かれている。
二ツ森伝次郎は、八方破れで、世間の思惑など歯牙にもかけない。それでいて、情にもろく、人のためになることなら、少々自分が大変でも、へとも思わず突進する。口は悪いが、根は素直で相手のことを考えての物言いだ。
「鳶」の中でも同心としての心得を孫の正次郎に言って聞かせる場面がある。その後、真二郎が正次郎に言う。「今、肝に銘じておくことは、『てめえがこれだと思ったら押し通すってことだ。押し通す勇気と折れる勇気を持つのだ。間違えたら、済まん、と言えば済む。言えなければ言わなくてもいい。それらしい態度を見せてやっていれば、そのうち言えるようになる。言った方が楽だからだ。』私の言葉ではない。私が父上に言われた言葉だ。」
二ツ森家の跡継ぎとしての心構えを伝授する場面であったが、ここでもまた、自分の子供に対する軟弱さを痛感することになる。
長谷川卓氏は、悪性リンパ腫の闘病を嶽神伝風花下のあとがきに書いている。そして、退院してから書いたこの後書きの最後に「今後も山の者は書き継いでいく予定でいます。」と書いているので期待していたのだが、「鳶」に収録されている「犬の暮らし」の途中で筆を折った。本人が一番残念に思っていることだろう。
心から御冥福を祈る。合掌
思い出リサイクル その1 都電 R3.7.17
「マニアの路面電車(原口隆行 著)」を読んで、というよりは観ていたら、昔の都電の車両が長崎で走っていることを知った。
まさしく都電だ!!!
そこで、都電にまつわる思い出リサイクルを・・・
中学1年まで青山に住んでいて、青山六丁目から青山一丁目まで都電に乗って中学校まで通った。
たまに地下鉄銀座線に乗って行ったが、ほとんどは都電だった。
乗車口からステップを上がって、電車の中に入ると床は鯨油が塗ってある木組の床で両側に座席があり、つり革がその上にぶら下がっていた。
鯨油を塗った床は、小学校の廊下もそうで、たまにモップで塗ったのを覚えている。
都電といえば、渋谷と青山六丁目の間にあった車庫だ。
とにかく、敷地が広くコンクリートの打ちっぱなしでゴツゴツした広場があった。もちろん、立ち入り禁止だったのだろうが、金網の隙間から入って小学生の頃よく野球をしに行った、クラスで人数を集めて他のクラスとの対抗戦をするのだ。その日は、学校の勉強そっちのけで、人数集めに奔走する。
今は、敷地後に建った子供用の施設もなくなってウイメンズプラザや国連大学本部などのビルの集合施設になっているようなので、地図で見てみたら昔奥にあった池がまだあるようなのでびっくりした。その頃は溜池みたいな周りが雑草だらけの池だったが、きっときれいになっているんだろうと思った。
今でも都電は、都内を走っている。都電荒川線だ。豊島区に勤務していたので、よく活用した。遠足でも飛鳥山や荒川遊園などには専用電車として1台借り切って行ったりもした。
区長は、都電を区内に走らせることを考えていたが、どうなったのだろうか?今でも都電が走っているのを想像しては、いろいろ思い出している。
何かモノや場所などを思い出すと「思い出リサイクル」ができるかもしれない。自分でもそんなことを期待している。
泰山木の花がいつも通る歩道橋の下に R3.6.27
最近、書こう書こうと思いながらも頭の中で描いてはいるのだけどなかなか形にならないので、見かけた花をUP!
花が開くとすぐに雄しべがボロボロとこぼれてしまい、その後花弁も落ちてしまうので、咲いてからの寿命は短い。
大体が、上の方に咲くので下から見えないことが多いのだが、歩道橋の上からだとよく見える。
タイサンボクは、マグノリア(木蓮)の仲間で大きい白い花が特徴の木で、花言葉は「真の輝き」(他にも「前途洋々」「威厳」などがある。)
やっとギボウシの花が咲いた R3.6.9
家の庭に咲いたギボウシだが、株が小さく冬枯れしてしまう種なので、毎年30cmほどの茎を伸ばし、花を咲かせる。
右の写真は、散歩中に撮影したアゲハの交尾・・・暑いから早い?
本考17 フルーツポンチ村上健志の俳句修行 R3.7.23
この本には17カ所の句会に参加したことがまとめて書かれている。TVで観ている村上健志は、ヘラヘラしているのだが、至って真面目で俳句修行をしているので見直した。
この本の中で、巻末に収録されている対談から少し拾ってみた。
俵万智×村上健志 より
村上 僕がいろんな句会に参加していて思うのは、理屈で理解しようとしても無理というか、「そういうもんだ」と思うしかない場面が結構あるな、と。句会でみんな当然、句の考察とか分析をしてある程度、「なぜこの句がいいのか」を解き明かしていくんですけど、最終的には俳句でも、お笑いでもそうなんですけど、なんでウケてるかは正直分からない。分からないけど、おもしろいと思ったものを作り続けるしかないんです。お笑いも短歌も俳句も、最終的にはみんなが絶対にこれをいいと思う保証はないんだろうな、って思います。
俵 そうね。「なんでいいか分からないけどいいよね」ってありますよね。だからある意味AIに作れるものではないというか。だって、AIって理詰めなわけですよね?「なんでいいか分からない」を込 みで作ってきたら、ちょつと怖いんだけど(笑)。でもやっぱり、AIがいろんなことを今やってくれていて、もし短歌や俳句を作るようになったとしても、一番最後なんじゃないかな、って気がする。
村上 そうですね。「なんかいい」っていうデータベースをめちゃくちゃ与えないとダメですよね。
俵 「なんかいいデータベース」ね。
村上 「これはなんかいいに付随する」をずっと与え続ける。でも「なんかいい」は「なんかいい」としか言えないから、難しいですよね。みんなが「なんかいい」って言うものを、なぜ?って突き詰めようとし過ぎたら、離れていっちゃう感覚。
俵 ぎゆつと捕まえようと思うと、ふわつと逃げちやう。
村上 そうなんです。今みんな、意味付けがすごく好きじやないですか。評論がブームになってきてるから。そうなるとずっととらえられない感覚だな、って思っちゃうんです。僕もいっとき、論破したいなとか思ってましたけど、論破の方に意識が行きだすと正直、「なんかいい」から一番遠ざかってしまうんです。
俵 短歌にしても俳句にしても、理詰めで伝えるものではないと思うし、すごく短い言葉だから、相手を信じてないと作れないですよね。論破する場合は、相手を徹底的に信じてなくて、理詰めにして「どうだ」って追い詰めていくじゃないですか。相手を信じてないから、そうするわけですよね。それとは全く逆だと思う。相手を、読む人を信じてないと、こんな短いものを手渡せないですよね。論破って100文字でー00文字分のことをきっちり言うことだと思うんですけど、それって本当に隙がない。「こうとも取れる」「ああとも取れる」はあり得ないわけだし。でも俳句が例えば、17文字で17文字分の情報しか伝えられなかつたら、もう電報になっちゃう。言葉を信じてないとできないし、読者のことも信じてないとできない。だから実は、すごく麗しい心の上に成り立っている文芸じゃないかなと思います。
又吉直樹x村上健志 より
村上 「妖怪が好き」っていうと、ふつうは「ネコが好き」っていうような感覚じゃないですか。これがたぶん2、3周して、白分が妖怪だとして、「妖怪の目線として人間が好き」っていう謎の現象が起きちゃってますよね(笑)。妖怪好きというか、人間好き。
又吉 人間かわいいですからね。
村上 妖怪として世界の習性を探ってるから、人闇のいろんなところが見えるんじゃないですかね。
又吉 確かに取材癖は付いてるかもな。前に行ったすごいかつこいいバーで、女性がお酒を作ってくれたんですけど、たまにカウンターの下にいなくなるんですよ。何の作業してるのかな、と思ってちょっとのぞいたら、おにぎり食べてた。それって本来、見ることができひん瞬問やから。オーセンティックなバーやと、バーテンダーさんがおにぎり食べてたらあかんから。こつちにはちゃんとバーでいてくれるけど、彼女には彼女の日常の中でおにぎり食べなあかんから、それはおもしろいですよね。
村上 みんな同じ時間を生きてるからそういう瞬間も見てるはずなのに、見過ごしてますよね。照明が落ちてて膏楽がかかって、バーテンダーさんが立ってるところしかバーとして断定してないから、その記憶しか残っていかないですよね。又吉さんの場合はそもそも、キャッチ能力がすごいというのもあるんですけど。だから、明るさも暗さも全部好きで、全部知りたいんじゃないですか。世界ってこういうもんだって決めつけないで、「とりあえずあるもん見といたらこういう瞬間だった」とか。たぶんそれが好きなんだろうし、そういう人だから、句の鑑賞に対して「きっと何かがあるはずだ」「ヒントがあるはずだ」って、いっぱい考えてくれるんだと思うんですよね。
というところで散歩中の凡人句を!(本当は間を開けないのだが,読みやすく?最後は川柳!)
我待ちて 横向きに咲く 百合の花
想う間に 雨に濡れ落つ 楡の花
雨あがり 青を切り取る 二重虹
ミミズ引く アリを避けての 散歩かな
日傘にて 遮る日差し 荒い息
コロナ夏で オリンピックの 空騒ぎ