令和7年が始まって、あっという間に時間が・・・

昨年末に愛猫つむぎが死んでしまい、やることを忘れてしまうことが多くなってしまうほどショックが尾を引いてしまっています。
今まで、つむぎのことは書かずにいたので、これから少しずつアップしようかと考えていたのに残念です。
それでも、日常は過ぎていきます。また心に残ったことを書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

本考12 「ゴッホのあしあと」→「たゆたえども沈まず」 20.12.25

<img src=<img src=
左から「ゴッホのあしあと」文庫版、「たゆたえども沈まず」文庫版、「たゆたえども沈まず」単行本(表紙の違いも面白いですね)

 

 初めに面白そうなので「ゴッホのあしあと」を読みました。そうしたら「たゆたえども沈まず」の解説に近い旅日記でした。しかしながら内容は濃く、ゴッホの孤独を探っていく旅物語でした。
その中の後書きがとても印象に残ったので、紹介します。本の中では、「失われた春ーあとがきにかえて」となっています。

 

二〇二〇年春。世界中の多くの人たちにとって、これほど忘れがたい春はこの先訪れないだろう。(中略)多くの芸術関係者、アーティストは、彼らの表現力と弛まぬ鍛錬の成果である作品を発表する場を奪われた。ネットでの配信は確かに一助にはなるだろう。しかしアーテイストが醸し出す生の表現力は、どうしたってオンラインでは届けられないのだ。
 ロスト・スプリング〈失われた春>この大きすぎる損失を、私たちはこのさきどのように埋め、どうやって取り戻せるのだろうか。(中略)
 私はゴッホの足跡をたどって、彼の最晩年を追体験し、その生涯を題材に物語を創作した。かなりの資料を読み込み、世界中の美術館に作品を観に出かけた。研究者と面談して取材もした。いっぱしのゴッホ専門家になったような気がしていた。
 そうだろうか。ほんとうに、私はゴッホのすべてを知り尽くしたのだろうか。彼の中で噴き上がっていた情熱と、彼が鎖でつながれていた孤独を理解したのだろうか。
 いいや、これっぽっちも知らずにいた。真の孤独とはどういうものかを。流れゆくセーヌの川音を聴きながら、いま、自分が直面している孤独。私は初めて我が身をゴッホにぴたりと重ね合わせることができた。そして、彼が人生のどん底にいたときにこそ、最も清澄で、最も美しいタブローの数々を生み出した、その強さを思った。(中略)
ーーー嵐のときは小舟になればいい。たゆたいこそすれ、決して沈まずに。
 私は、自作の中で林忠正がゴッホに語りかけた言葉を胸中に反劉した。なぜそんなふうに書いたのか、書いたときにはわからなかった。いまなおわからない。けれど、ひょっとすると私は、未来の読者に向かって、そして未来の私自身に向かって書いたのかも知れなかった。
 セーヌ川が流れる静かな音は、私の耳の奥にいまも響いている。〈失われた春〉の調べは、この先も幾度となく私の中に蘇るだろう。そしてそのつど、孤高の画家、フィンセント.ファン・ゴッホを思うに違いない。古い友人をふと思い出しては、たまらなく会いたくなるように。
 二〇二〇年七月蓼科にて    原田マハ

 

ということで、前後が逆になってしまったようだが、図書館で借りて単行本の「たゆたえども沈まず」を読んでいるところです。

 

本考11 「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んで 20.12.6

 この本は、芸人の若林正恭が書いた「キューバ旅日記」だ。
 前半では、自分の若いときからのことを書き、キューバに行ってからはキューバでの出来事を自分の言葉で書き、後半では父親とのことを書いている。
 カバーニャ要塞にいた野良犬を見て筆者が日本の社会での飼い犬を思い出して書いたその中の9話のタイトルを本のタイトルにしたものだ。
 この話の野良犬は、要塞の中で手厚い庇護も受けずに観光客に取り入って餌をもらっている。しかし、自由だ。それは、まるで誰かに飼い慣らされるより自由と貧しさを選んでいた野良犬をキューバ人のように感じているみたいだ。
 そして、筆者は、東京で見る犬たちは、リードに繋がれ飼い主に媚びているように感じている。まるで日本人がそうであるような!
<img src=
 もう一つこの本の中で心に残ったことばがある。
 チェ・ゲバラの名言「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」である。
 私も青春時代にゲバラの生き方を知り、その言葉を問い直していたときがある。筆者とは違う感じ方があったと思うし、今でもその時を思い出しその時代に生きていた感慨があるのだが、今は、昔の話である。  

 

鰯雲 20.11.26

<img src=<img src=
 今朝は、霧が出ていた。前日には久しぶりの雨が降り、朝霧ということは、晴れると思っていたが、珍しい雲が見られた。
私は、以前から「鰯雲」と呼んでいたが、「うろこ雲」「鯖雲」とも呼ばれているようだ。正式名称は、どれも同じ「巻積雲」で高度5,000〜15,000mにある雲で、「ひつじ雲」と呼ばれる雲は「高積雲」で2,000〜13,000mにできる。
 このように細かい雲は、初めて見たが、鰯雲というよりはうろこ雲?空に白い毛糸で刺繍をしたような、すがすがしい冬への移行期の空だった。

工作 20.11.11

先日、町会の文化祭があり数集めのために3つ出品
これは、その1つ「スマホスピーカー」
<img src=<img src=<img src=<img src=
これが、結構いい音出して、木の間を通ってくるので、柔らかい感じで、今も机の上で活用している。

 

これを使って車のラジオで聞いた「六角精児バンド:ディーゼル」をこれを打ちながら聞いています。
https://www.youtube.com/watch?v=_iV4cO9ZD7E
自分では気付かなかったけど、けっこうカントリー風の音楽も好きなのかもしれないと感じました。
ということで、また何か見付けたら挙げてみたいと思います。

本考10 最近の読書 2020.10.22

<img src=

「羊飼い猫の日記」スザンナ・クランプトン著より
この本は、家内が図書館で借りたものだが、ページ数が多いので期限内に読むのが無理だというので、代わりに読んでみた本です。
私は、多少速読ができるので、面白いところ以外はスピードアップして読みました。
内容は、表紙にもあるように「アイルランドの四季と暮らし」を筆者が猫の目を借りて書いたもので、半分自慢話みたいなものですが、牧場での生活の様子がよくわかり面白いです。
例えば、羊はとてもデリケートな心の持ち主で「羊に害を加える犬などの動物は、撃ち殺してもいい」と法律で守られていることなど、実際の例を挙げて話している・・・など!
最後の章「羊飼い、語る」の初めにある詩が印象に残ったので、引用します。

 

 死がわれわれの人生に意味を与える。
 死が待っているからこそ、時間は貴重で、価値がある。
 あり余れば、時間は価値を失う。
                      −−レイ・カーツワイル

ボディシャスが死んで追悼の文章(あ、遅くなりましたが、ボディシャスとは、主人公の猫の名前です。)

 

ボデイシャスがこの世から旅立った夜、筆者の八歳の姪、アイリス・クランプトンが送ってくれた詩も良かった。

 

猫の一生っておもしろい
通りをうろついて暮らすか、
歯みがきガムを噛まなきゃならない毎日か
どっちがましかと、子供も大人も、たくさんの猫が悩む
ノラ猫になる?犬を追いまわす?
ネズミを獲ったり、壁をよじのぼったりする?
背高猫もちび猫も、子猫も年寄り猫も、大きな猫も小さな猫も
みんなこの問題に答えを出した
そう、ボデイシャスもおなじ問題に悩み、
むずかしい決断をした
神さまは彼を特別にした
神さまは彼を独特にした
神さまは彼を大きく、強くした
神さまは彼をかっこよくした
神さまはボデイシャスの頬に手を置き
やさしくなでた
彼が眠りにつくまで

 

どうも、猫を飼っているせいか、最近猫に関する本を読んでいることに気が付きました。
「ねこはるすばん」 町田尚子 著 は、絵本ですが、町田尚子さんの「なまえのないねこ」が可愛かったもので、つい買ってしまいました。絵本なので内容はお知らせできませんが、表紙だけ載せておきます。
<img src=<img src=


本考9 心を成長させる読書 2020.10.17

 他のサイトに「読書は心のエネルギー」という話を載せたので、読書の秋にふさわしい?かどうかわからないけど、読書についてのお話を!
 今は、寝る前には時代小説、起きているときには教育書と面白そうだと感じたものを2〜3冊平行して読んでいます。というのも、図書館で借りているものと自前のものがあるので、両方読まないとなかなか読み切らないので(笑)

 

 「読書は心のエネルギー」は以前書いたものでしたが、そのフォローを・・・
「たまたまテレビで皇后美智子さまの読書の思い出という放送を部分的ですが視聴することができました。そこで、美智子さまは、でんでん虫の話を小さいときに読まれ、それを今でも思い出すことがあるというのです。でんでん虫は、悲しみが殻にいっぱいあると悩むのですが、それは、誰にもあることを知るのです。そこで美智子さまは、子供は本の中の悲しみをいっぱい知るが、子供は不思議なバランスを示し、悲しみと共に喜びをも見いだすと語っていました。そして、まきばという詩から生きていることへの感謝を呼び起こされたとも。
 また、子供は、まず読みたいという気持ちが大切だともおっしゃって、ハイジがクララから貰った本を読んでみたいと思い、おばあさんに読んであげたいという気持ちと重なって、一冊の本を読み通した事を例にあげておられました。これは、子供達の読書指導によいヒントを与えてくれていると思います。」
という内容を中心に書いたものでしたが、その前に書いたアメリカでの実態について少し追記を!
 「アメリカでの例では、識字力が低いと暴力的になるという実態」この文章に対して、その時のつぶやきが次のようなものでした。
 読書離れは、自己との対話を失っている。アメリカでは、8000人が殺し合いをしているといわれるが、その特徴は「文字離れ」である。暴力で自分を示すということである。(自分がこう考えるということがない。○○がこう言ったである。)自我霧散、オウムがそうであり、高校生の予備軍が。

 

 さて、私自身の小学校時代の読書の思い出は、「泣いた赤鬼」という本で、赤鬼のとてもニヒルな青鬼との悲しい別れのお話です。自己を犠牲にしても友達の赤鬼のために悪者になるという青鬼の生き方に感銘を受けました。朝、みんなが来る前に、誰にも知られずに、そっと掃除をしておくという自己満足的な行動をしたものです。
 その後、家にある本(時代物と推理小説)をよく読みました。そして、SF小説へと没頭していくのですが、何といっても読書の力を付けたのは小学校6年生の夏休みに吉川英治作「三国史」を読み通した事です。夏休みいっぱいかけて「三国史」を読み通した事が、自信になったことを今でも思い出します。
 初めは、辞書を片手でやっと1ページを読みました。だんだん読み進めるうちに、前後の脈絡で勝手に漢字の意味を解釈して読むようになり、そのうち、ドンドン読めるようになりました。そのおかげで、漢字の構成や意味がわかるようになり、文章理解力が付き、国語の勉強や算数の文章題なども知らず知らずのうちにできるようになったのです。
 このように、読書は、心の成長と密接なつながりを持っているだけでなく、学問の基礎となる力も付けてくれます。そこで身に付けた文章読解力により、文章を理解し、更に自分自身との対話ができるようになり、心が磨かれていくのだと思います。
 今の子供たちを憂えるのは私だけではないのでは?と思います。本離れが進み、自己との対話よりゲームに支配されることで、日本の若者も暴力的になっていくのではないかと危惧するばかりです。自宅の読書環境が良いと子供の読書を促すといいます。私も子供が小学生の頃は、2週間に一度図書館に行って本を借り、家族で読んだり寝る前に読み聞かせをしたりしました。今の子供たちにも読書の機会が増え、心を成長させていってくれることを願っています。

 

「参考」新美南吉「でんでんむしのかなしみ」
一匹のでんでん虫がありました。
ある日、そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。
「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」この悲しみはどうしたらよいのでしょう。
でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。
「わたしはもう、生きてはいられません」と、そのでんでん虫はお友達に言いました。 
「何ですか」とお友達のでんでん虫は聞きました。
「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。
すると、お友達のでんでん虫は言いました。「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
それじゃ仕方ないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達の所へ行きました。
するとそのお友達も言いました。「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
そこで、はじめのでんでん虫は、また別のお友達の所へ行きました。
こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どのお友達も、同じことを言うのでありました。
とうとう、はじめのでんでん虫は気がつきました。
「悲しみは、誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの悲しみをこらえて行かなきゃならない」そして、このでんでん虫はもう、嘆(なげ)くのをやめたのであります。

他のサイトに載せた「ハチドリのひとしずく」 2020.10.10

美しい鳥の図鑑を見ているとハチドリが出ていて、昔子供たちに話したハチドリの話を思い出しました。
もう一つのブログに載せましたが、今書いている記事がなかなかまとまらないので、10年ほど前に書いた昔の話ですがつなぎに載せます。

「ハチドリのひとしずく」

<img src=
 南米・アンデス地方の先住民族に伝わる民話で、燃えさかる森にハチドリが一滴ずつ水を落としていくという短い短い、そして気の遠くなるようなお話です。
 この人間世界から見れば、小さく無力のように思える小さな生き物たち。環境を破壊することは一瞬で簡単なことです。人間だって宇宙から見ればハチドリのようなものだけど、そんな自分でもコツコツと出来ることがあるかも知れない。
 現代の営利及び物質至上主義では一足飛びのシステムはあるかも知れないが、自然においては一切、一足飛びのシステムはありえないということを古代の人々、そしてハチドリは現代にそ伝え教えてるのではないだろうか。
<img src=<img src=

ハチドリ計画〜ポトリとは

ポトリ活動
『環境は未来からの預かり物』 ☆ネイティブアメリカンの中で古くから受け継がれている言葉です。
「自然(地球)は過去からの贈り物ではない、未来からの預かりものなのだ」という考え方の原点は、ハチドリの物語!
 CO2 100gを減らすためのひとしずく(行動)を「1ポトリ」と呼ぶことにした活動です。
ハチドリ計画HPより内容を紹介します。環境学習、学級指導等で使ってください。
 2005年に「京都議定書」が発効された。日本は、2008年から2012年の5年間で1990年比で6%の削減を世界に約束した。ところが、1990年以降もCO2は増え続けている。
 京都の約束を守るために、日本は14%減をめざす必要がある。自分の暮らしの中で、できることを考えてみよう。たとえば、日本人が1日に出すCO2は、平均7000g。
7000g×14%=980g(9.8ポトリ)1日10ポトリを集めることから始めてみよう。

 

ポトリ換算例 <参考:ハチドリ計画HP>
 アイドリングストップを5分する           1.1ポトリ
 3kmの移動をタクシーのかわりに地下鉄を使う    12  ポトリ
 レジ袋1枚もらうのをやめる              0.9ポトリ
 食品トレーを10枚リサイクルする           1  ポトリ
 ペットボトルの使い捨てを1本やめる          1.4ポトリ
 お茶碗1杯の食べ残しをやめる             0.8ポトリ
 シャンプーを詰替タイプにする             1.3ポトリ
 家族で資源物を正しく分別する             3.5ポトリ
 1週間のごみの量を5kg減らす             0.6ポトリ
 冷房を27度から28度にする              0.5ポトリ
 冷蔵庫の詰め込みすぎをやめる            0.7ポトリ
 テレビをみる時間を1日3時間減らす         1.2ポトリ
 ジャーの保温をやめる                0.8ポトリ
 使わない機器の主電源はオフにする          0.7ポトリ
 シャワーを1日1分短くする              0.7ポトリ
 オーストラリア産アスパラ1本を、国産のものに変える 4.1ポトリ
 アメリカ産レタス1個を、国産のものに変える      3.6ポトリ
 タイ産鶏モモ肉200gを、国産のものに変える     0.3ポトリ
 中国産の大根1本を、国産のものに変える       1.8ポトリ

 

他にもできるこんなこと・・・
マイ箸を持ち歩く:1年間に250億膳が使い捨てに。健康にも環境にも悪い。
自動販売機をボイコットする:全国に555万台ある自動販売機。温暖化に貢献?
フェアトレード商品を選ぶ:生産者たちの健全な経済発展を応援しよう。
木を植える:森の再生につながる。

 

交通ルールなのかマナーなのか? 9.17

 最近、自転車の無謀運転が問題になっているが、ルール違反も目に余る。
 「子供の自転車が危ない」という声は、前からよく聞くし、確かに危ない場面をよく見るが、元気な老人や幼児用カゴを載せたママチャリも恐い。
 一様に感じるのは、自分のことしか考えない相手意識の低さだ。そう考えるとマナー違反ともいえるのだが、元々ルールを知らないことも原因のようだ。

 

 例えば、歩道での自転車走行だ。
 歩道であるから当然車道ではない。自転車は交通法上「クルマ(車両)」であるから車道を走らなければならないのだ。
 歩道を走る場合は、当然守るべきルールがある。それは、車道側を走るということである。歩道によっては標識や表示によって明示されているのだが、目に入らないのか守らない自転車走行が多い。
 理由を考えてみると@道路面が走りやすい。A日陰になっている。B標識をどちらも可だと勘違いしている。C焦っているので急ぐこと以外何も考えていない。・・・これらは、全て自分中心の考えで、法を破っていることになる。(多分、自覚はしていないのだろうが)
 もちろんそれ以外にも歩行者優先なので歩行者の通行を妨げるような場合は、一時停止しなければならない。自転車のベルを鳴らして歩行者に道を空けさせたり、スピードを落とさずに歩行者を追い越したりするのはルール違反になる。ちなみに違反した場合、2万円以下の罰金又は科料となるのだ。
自転車安全利用5則 参照

 

 以前、地域の集団登校の子供の列を誘導していたとき、歩道橋を渡ったら必ず歩道の車道から離れた方へ誘導したのだが、その方が危険な場合もあることに気が付いた。
 自転車が出勤で急いでいるのか歩道橋の脇を抜けるために猛スピードで車道から遠い側の歩道を走るのだ。そのため、子供たちはみんな歩道橋を下りたら真っ直ぐ車道側を歩いて行く。私は、結局子供たちの危機対応能力に任せるしかなかった。毎日、自転車の交通整理に出るわけにはいかないからだ。
 少なくとも登校時間帯くらいは自転車安全利用5則を守ってほしいものだ。

 

 若い教員にも歩道を歩くときは必ず車道より遠い方を歩くということを教えておく必要がある。教えずにいて児童生徒を引率して歩道を歩いているのを見ると必ず歩道の右側を歩く。それが車道側であっても歩道の右側を歩くのだ。
 校内では必ず右側通行をするので、何処でも右側を歩くものだと勘違いをしているのだろう。教員が、学校内のルールを遵守しようととはするが、社会のルールに疎いという良い?例だ。
 少なくとも子供に教える立場として、自分は社会のルールを率先して守るべきだと思うのだが!
 しかし、そういう私も失敗したことがある。急いで行かなくてはならないところがあり自転車で横断歩道を渡っているときに、後ろから声をかけられたので止まって振り向いて挨拶をしているウチに信号が赤に変わってしまった。焦って渡ったのだが、その時丁度見ていた人がいて「先生は赤信号で渡って交通違反をした」ということになってしまった。それ以来、念には念を入れ、交通違反をしないいように注意をしたことを思い出す。
 「どこかで誰かに見られている」ことを意識して自分の行動を自分で規制するのが良いと思う。

 

 車の運転も「あおり左折」と「鋭角な右折」が気になるが、またの機会に・・・!

自分で決める 2020.9.6

前回の記事の中で、不登校には「自分で決める」ことを練習することを書いたので、今回は、この「自分で決める」ことについて、お話しすることにしました。

 

 私自身がどうかというと、なかなか決められない人間で、よく外食に行って何を食べるかなかなか決まらず、ウチの女房殿の機嫌を悪くさせてしまったものです。
 日々のちょっとした迷いなら大したことは無いのですが、人生の進路を決めるようなときには人任せにしてはいけないと思います。
 よく、中学受験に失敗して親や先生や友達のせいにする子供がいますが、これではそのことを一生引きずることにもなりかねません。
 私が、6年担任の時には、受験をする子供たちにまずその心構えを初めに話しておくことにしていました。
「親に言われようが、いやいや受験しようが、最後にそう決めたのは自分なんだから、人のせいにしないように。その気持ちがないなら受験をしない方が良い。」と!
 結局、人のいいなりで自分で決めることをしてこなかった人間は、最後には自分を見失うか人のせいにして逃れようとするか、自分の人生を歩むことができなくなるからです。
 私の教え子の中にも、親のいいなりに受験し学校に行って、自分の進路や生き方を見失ってしまった子もいました。子供の人生は子供のものです。大人は、そのことをいつも頭の中に入れておかないと子供は自分の人生を歩むことができません。教育の目標は、子供の自立だと思います。自分を自分のものとして責任もてる行動や言動を行えるようになって、初めて自立が成立します。
 しかし、子供を自分の言うなりにしている大人がいます。子供の人生は子供のものですし、子供にも人権がありますが、権限はありません。だから、大人は、子供が自分のもののように考えてしまうのかもしれません。子供が言うことを聞かないと嘆いている大人もいます。その中には、子供の人権なんかを尊重すると子供がわがままになると言って子供の人権を認めない人もいます。
 逆に、子供の言いなりになっている大人もいます。子供との勝負を避けている大人もいます。判断基準がないと、子供は判断できません。 自己判断力を育てるといっても、判断基準が曖昧では判断のしようがないからです。大人は、小さい子供にはしっかり示し、大きくなるに従って子供に教えるのではなく、練習させて自分で自分の判断基準を身に付けさせることが必要だと私は考えています。

 

 そんなことをいっても、自分で決めさせるということは、親にとってはきついこともあります。
 私の教え子で死んだ子がいます。白血病でした。5年生の時発病して、6年生になって帰ってきたときは薬の副作用で頭の毛は、ほとんどが抜け落ちていました。学力もクラスで1,2位を争うほどでしたが、全く勉強が解らなくなっていました。運動能力が、トップクラスだったのが、満足に走れなくて痛々しいほどでした。
 その時、お母さんにどうしたらいいか相談を受けました。私は、最後に「自分で決めさせてください。」と、言いました。しかし、それはお母さんにとってとても苛酷なことではなかったかと思います。無理をすると、寿命を縮めるかもしれないからです。しかし、そのお母さんは、彼に自分の道を選ばせました。6年の終わりには、彼は元通りの勉強のできるスポーツマンになっていました。彼は、どれほど努力したことでしょうか。そして、中学でも一日一日ベストを尽くして生き、3年生の夏、死にました。
 私は、葬式でお母さんの顔をまともに見ることができませんでしたし、声もかけられませんでした。無理をしなければ、彼はもう少し長く生きられたかもしれないからです。自分が親として考えると、自分の子が死にそうになったら代わってやりたいし、自分より長生きしてほしいのは当然です。
 でも、私は、後悔はしていません。彼は、確かに生きました。自分の人生を生きました。精一杯生きました。自分で決めて生きることができればそれは、それだけですばらしいことだと、今でも私は、信じているからです。しかし、そのお母さんの親としての気持ちを考えると、その時私は、そのことを一生背負って生きていかなくてはならないと思いました。それからもう40年、彼は、今でも私のなかに生きています。
 そして、私はこれまで彼のすばらしい人生と、自分で決めて生きるということを私の教育財産として、どの子にも伝えていこうとと努力してきました。しかし、今は、私の中に残っているだけになってしまったのかもしれません。

ストレスについて考えていたら次の発想が・・・

 7/15から考えを整理し始めて「ストレスについて」→「ピンチはチャンス」→「心をとるか身体をとるか?」というように発想が湧いてきてしまったので、日程の違いで分かると思うが前の考えが整理できないうちに次の考えの方が先に整理できてしまった。
全部できあがってから8/11に順番で整理したものがこれです。(笑)

 

「ストレスについて」8/8

 

 ストレスは、かけるもの与えるものだとすると、心に与える刺激といってもいいかもしれない。だから、当然良い刺激と悪い刺激があるわけだ。
 受ける側の心によって受け止め方が違うので、どう受け止めるかでもその刺激が良いか悪いかが決まってくるわけで、良くないことや他人に対してストレスを与えたりすることを自分の中のストレスのせいにするのは、間違えだ。よく暴行や犯罪、殺人などをストレスのせいにするような事件を目にするが、自分の責任を転嫁するのにストレスが使われている例といっていいだろう。

 

 一般には、悪い刺激の方をストレスと呼んでいる。そして、受け取る側の立場でストレスといっていることが多いようだ。ストレスを感じる、ストレスがたまる、などというのも受け身的だからだ。
 子供に一番ストレスを与えているのは周りの大人たちで、そのストレスに耐えきれない子供が、また違う子供にストレスを与えたりするのだ。<img src=

 

そうしてストレスは、相乗効果で増えていく。
 だからこそ、自分の中で受け止め方を変えてよい刺激としていかなければならない。
 ストレスから逃げずにしっかり受け止めるためには、「自分で決める」ことが大切になると私は考えている。「自分で決める」ということが自分の中にしっかりした価値基準、判断基準を構築していくと思うからだ。

 

 不登校などは、多くのケースがストレスを処理できなくなってしまい、自分でどうしようもなくなった結果起こる。
 その時に「自分で決める」練習をすることで解決に近づくことができる。私の経験の中でもほとんどのケースがその練習をすることで解決した。

 

 私が初めて不登校に遭遇したのは1年生の担任の時だった。
その時は、あまり知られてなく、その後登校拒否とも呼ばれ始めたが、症例もなく対応策もない状態だったので、試行錯誤で対応した。
 当初、無理矢理連れ出そうとしたが、当然無理で、子供が落ち着いた頃から毎朝顔を合わせて、少しずつ登校慣れをする練習をした。顔を合わして挨拶することから初め、次は鞄を背負ったらさよならをし、玄関を出たらさよならをするといった状態で、長い日にちをかけて校門まで一緒に登校するまでになった。さよならした後、教室にいると大勢の子供たちが入ってきたのだが、なんとその中には不登校の子もいたのだ。その時に、子供たちの力はすごいな、と思った。これも、自己決定の練習の一つだと思うが、私が集団教育・学び合いの必要性を感じるようになったきっかけでもあった。

 

 もう一つ印象的な不登校がある。それは、6年生の担任をしていたときのことだ。
その時、少年サッカー部の監督をしていたが、その部員だったクラスの子が急に学校にこなくなってしまった。
 2〜3日は、お休みの届けが出ていたが、部屋から出られなくなっていたことがわかった。その理由は、いろいろあったのだろうが理由で解決できることではないので、ご両親と話し合って、まず「自己決定能力の育成」をお願いした。
 お願いしたのは「子供が自分でやるまでは声をかけない」ということだった。朝起きるのも歯を磨くのも食事をするのも自分でやるまでは黙って見ているだけにしてもらった。お母さんとは毎日連絡を取り合ったが、半年以上も進展はなく、卒業の前に突然姿を現したのだった。ご両親には、なんと長い忍従の日々だっただろうか。私も心の中では「やった」と思って泣いていたのだが、平然として全ての子にいつも通りの態度で接したのを覚えている。
 今でも長い期間かかってしまったので、その家族には申し訳ない気持ちがあるのだが、やり方は間違っていたとは思ってはいない。長い人生の中では自分をつくるための良い経験だと考えれば決してマイナスだとは思わないのだが、どうだろうか?

 

 管理職になっても同様の不登校が何回もあったが、この方法で全て解決できたので良かったと思っている。焦らずに対応できたのは、対処法をしっかりもっていることが大きかったのではないだろうか。
 一見ピンチと思えるものも実はチャンスになることも多くある。
特に、子供に起きるトラブルは、子供の持っている様々な問題点が表出するわけだから、それを育成のチャンスにすることこそが教育の仕事なのだ。起きたときに解決することでその子の人生が変わることだってあるのだから。逆に何も起こさずにウチにため込んでしまう方が問題で、大人になって自殺や犯罪などの大きな問題に発展することさえある。

 

 教育者としては、ストレスをストレスとしてため込むより、外に出してくれる方がその場で解決することができ、ありがたいと思うべきだ。
 私は、何か問題が起きると子供を変えるチャンスだと思い対応していた。ピンチはチャンスなのだ。子供のピンチをチャンスにすることが教育の一つの役割だと思うのだ。

 

「ピンチはチャンス」8/3

 

 ストレスの中でも一番大きな出来事は、ピンチだと思う時ではないだろうか?
人生の中でも多くのピンチを迎えたことがある。そんなときに思い当たるのが「ピンチはチャンス」という言葉だ。
 ピンチをピンチのままにしておくと、それは大きなストレスとなるので、それをチャンスに変えることができればストレスなんかにならないし、ストレスが自分を鍛えてくれることにもなる。

 

 では、どうすればピンチをチャンスに変えられるのだろうか?
様々なピンチを経験し、多くの経験から答えや方策を多く持っていることは、強みになる。
 例えば、教室で発達障害の子が興奮して暴れたりすることがあるが、その時慌てずに「タイムアウト」という方法をとることはよく知られている。
「タイムアウト」とは、その場から離して、気持ちを落ち着かせることだ。その場所から離れることで自分で自分を鎮める時間をとるのである。
ほとんどの子が、自分で自分の気持ちを鎮めて戻ってくる。
ただ、そのやり方や時間には個体差があるので、気長に見守ってあげる必要がある。
 ある子は、1年生の時は校舎から出て行ってしまったが、4年生になったら教卓の下にいたし、5年生になったら自分の机の下で気持ちを鎮めるようになった。
ある子は、1年生の時興奮して1時間机に教科書をたたきつけていたが、6年生の時は興奮すると自分でその場を離れるようになった。
 「タイムアウト」は、教師と児童のピンチを救い、チャンスに変えてくれる一つの方策の例ともいえる。トラブルのケースが、そのような方策に当てはまるとき、ピンチではなくチャンスだと考えられるだけでも気は楽になるのではないだろうか。

 

 このように、ピンチの時に生きるのが経験だ。何も考えず、何もやらずに生きてきた人より、失敗しても挑戦して来た人の方が可能性のある方策を見付け出すことができると思う!いや、失敗したことが多い人の方が経験値は高いから成功する可能性が高い。
 やらないと経験にならず、やったことが経験なんだから無駄だと思うことでもやってみることで、いつか役に立つこともあるということだと思う。たとえ役に立たなくてもやってみる必要がある。教育や芸術というものなんかもそうなんじゃないのだろうか!

 

 初任の頃、先輩教員に言われたことを思い出す。
「教員は、やること全てが研修だ。どんなことをやっても経験は無駄にならない。自然と親しむのも本を読むのもスポーツするのも、無駄なものはひとつも無い。」
 今、考えると私の経験の全てが私を形作っている。今の私は経験の積み重ねの上に存在するのだ。

 

 また、ピンチをチャンスに変えることができる人間でなくてはリーダーとは言えない。少なくともピンチの時、諦めることなく希望を持ってチャンスを探すことができなきゃならない。

 

 それには、まず、捉え方をかえる。ピンチをチャンスだと思えるように転換できる道を探すのだ。できそうもないことを探すより、できる可能性があることの中でできる限りのことをやることだ!
 私は、リーダーにも管理職にもならないし、やる気もない!という人もいると思うが、その時点で人生での大きな経験をする機会を逃していることになる。 ピンチをチャンスに変える多くの経験が、リーダーとしての資質を育てるといってもいいのだから、きっと人生の中でも役に立つことがあるのではないだろうか。
 現在のコロナ渦も大きなピンチだが、どのようなチャンスがあるのか?リーダーとしてチャンスを模索しできる限りの挑戦をする人にこそ希望は生まれると思う。実際に形態を変えて対応し、成功している小売店や飲食店もあるし、その形態の変化に対応して運搬する新しい事業を興している例もある。

 

 教育分野ではどうだろう?大学では相変わらず課題を出してレポートを提出させるという方法しかできずに学生や保護者から非難を浴びているところもあるようだ。大学でも高校で行っているところもある先輩が後輩の面倒を見るピアサポートのようなICTを使っての仲間づくりで個々の生徒の繋がりをもたせる必要があるのではないだろうか。
 豊島区では、すでに5月にGoogleの教育向けツールを導入し、クラス単位のページで学校と児童との繋がりを始めている。
 ICTを活用して個々の生徒・児童同士の繋がりを構築することで、共に学ぶことができるようにすることも一つの方法だ。子供たちを一人にさせてはいけない。一人で学ぶなら学校は要らない。学校の存在価値が、このコロナ渦で問われているのだ。

 

「心をとるか身体をとるか?」7/31

 

 コロナ渦の中で選択を迫られる場面が多くある。
 例えば、「旅行に行くか行くまいか?」とか
 「人に会いに行こうか行くまいか?」とか

 

 そんなときには、当たり前のことだと言われるかもしれないが、自分のことだけではなく相手のことを考えることだと思う。
 例えば、帰省をしようかどうか悩んでいたとするとき、自分としては行きたい(自分の思い)を優先するか、相手のことを優先するかどうかという判断をするわけだが!この場合でも、相手も来て欲しいだろうと思うと行きたくなるだろう。これも相手のことを考えると言えなくもない。しかし、「本当に相手のことを考えているのだろうか?」「相手の気持ちを自分の中で自分の気持ちと同化して正当化しようとしているだけではないだろうか?」と考えてみるとどうだろうか?

 

 悩んだとき、迷ったときにコロナウイルス感染症対策上、判断基準になるのは「心か!身体か!」ということだ。極端に言えば「気持ちや思いか!命か!」ということでもある。
 残念ながらコロナウィルスは、人の気持ちや思いなんかを考えることはないのだ。だから、人間としてどっちをとるかと問われれば、命を取るしかない。まず、命を守らなければならない。

 

 ウイルスは、菌と違って自己分裂をしないので、生き物ではないとされている。
 ウイルスは、生きている人間の中でしか生きる?ではなく存在することができない。人間の細胞を使って増殖するからだ。人間の身体を蝕み、人間の個体の中で仲間を増殖すると、それを別の個体に移すことで増殖していく。人間の身体が使い物にならなくなるとそこでの活動は終わり、自分の活動も終わり人間の個体は使い捨てになる。
 しかし、ウイルスは悲しんだりしない。泣いたり笑ったりもしない。ただ繁殖を繰り返し存在して行くのみだ。(最近では、ウイルスも自分が生き延びるために弱毒化して繁殖するように変化しているようだ!)
 人間に必要なウイルスもいるようだが、現時点では全てのウイルスを人体に役立つように改良するには至っていない。それができたらノーベル賞どころの功績ではない。

 

 このような外敵に我々人間という個体は、感情も精神も心も役に立たない。この強敵に立ち向かうためには、人間も心を捨てて立ち向かわなければならない。人間として大事な感情や心情、愛までも捨てなくてはならない。
 だが、しかし、最後には愛が勝つと信じている。自分への愛ではなく、相手のための愛さえあれば、人間はウイルスに勝てると思うのだ。

 

 そのために今、心よりも身体を大事にしたい。
 今まで教育者として学び合いを提唱してきて、新しい指導要領の中に取り入れられたので、やっと子供が知識だけではなく人と人とのかかわりを通じて心を含めた総合的に学ぶ場を与えてくれると思っていた矢先の出来事!
 その私が、自分の思いを封印して、学びは一人、知識伝達の教育に我慢しなくてはならないのは納得がいかないことなのだが、思いを優先してウイルスを蔓延させるわけにはいかないのだ。 今は、心よりも身体を大事にしてウイルスに対抗することが、愛だと思うしかないのだ。

また、3ヶ月間お休みしました!7.14再開 +本考8

コロナウイルス感染症自主対策で、病院にも行けず(笑)
あ、腱板断裂のリハビリなんですがね!
リハビリ担当の桜田さん元気でやってるかなぁ〜!!!
歳をとると若い女の人は、みんな娘みたいに思えてしまうので心配です。
結局、リハビリは自分でストレッチと軽い負荷の筋トレをするしかなくてやっております。
そのおかげか肩はまあまあ動くようになり、日常生活では問題なく過ごすことができるようになりました。
重い物も持てるようになりましたが、まだ痛みがあるので気を付けて強い負荷はかけないようにしています。
あと1週間ほどで手術から8ヶ月は経つんですが、なかなか時間がかかります。
しかし、手術をしてくれた吉田 衛先生へのご挨拶もできずに心苦しい限りです。
病院の医師や看護士など勤務している人たちは、コロナウイルス感染症の恐怖にさらされながら日々治療に力を尽くしておられるのに、私としては何もできずにいるわけで・・・
応援するしかないのですが、頑張っていただきたいと思います。(寄付はしてるんですが!)

 

この間、地域の仕事もするようになり暇ではないのですが、本は週1〜2冊のペースで読んでおります。
図書館も休館になったりしましたので、電子書籍でも大分読みました。
漫画も読みましたよ。
「伊賀の影丸」の人形劇を子供の頃TVで観たことを思い出し、DVDで探したら見付けたので購入して視聴しました。<img src=
まあ、昔の作品なので作りも荒いところがあるんですが、動きが可愛くて、斬っても血は出ないので緊張感なしに観ることができます。
大好きだった木の葉隠れの術はあまり出てこないんですが(笑)
そこで、漫画の文庫版「伊賀の影丸(横山光輝 作)」を購入して全巻読みました。

 

漫画といえば全巻揃っているのが「テツぼん」電子書籍版
ビッグコミックオリジナルに連載の漫画で、初めはこれを読むために雑誌を購入していたんですが、退職してからは電子書籍の単行本を読んでいます。
もちろん、第1巻から揃えましたよ。この3ヶ月に購入した新作を読んでからは、第1巻から24巻まで読み直しました。
この本の主人公は、鉄道オタクの政治家なんですが、世襲で政治家になった元はフリーターでワンルームに鉄道のジオラマを作っているので引っ越しもできずに住んでいて、それがまた清貧でいいんです。主人公は、ただの鉄オタなんですが、いつもその視点で考えているのが良い結果を出し、誤解されるというパターンです。よく、利権の話が出てくるんですが、政治家ってやっぱりそうなのかな?と変に納得してしまうところも面白いです。
この本を読んでいると、全国の鉄道廻りをしてみたくなり、1人で城廻と併せて旅行をしました。そのうち旅行記もアップしたいものです。

 

近々で読んだ本は、葉室麟の「いのちなりけり」です。
誤解されたまま別れた妻に望まれた自分の歌を探し、届けたのが「春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことはいのちなりけり」という古今和歌集詠み人知らずの一句で「春になるごとに美しい花の盛りはきっとあるだろうけど、その花の盛りを見るということは私の命があってのことだ」ということ意味です。
花に出会いそれを見ることができるというのは人が生きているからこそで、花に出会うのは命次第だという妻に会うために命をかけて生きる男の物語です。
物語の中にあった熊沢蕃山(ばんざん)という学者の話も印象に残ったので、最後に引用して終わりにします。

 

蕃山によれば、学問とは行うつもりがなければ意味が無い、ただの床飾りであり、逆に行う覚悟があれば学ぶことはわずかでも足りるのだという。
「ひとは生きて何ほどのことができるか、わずかなことしかできはしない。山に苗を1本植え、田の1枚も作るぐらいのことかもしれない。しかし、そのわずかなことをしっかりとやることが大事なのです。ひとはなぜ死に、つぎつぎに生まれてくるのか。一人がわずかなことをやりとげ、さらに次の一人がそれに積み重ねていく。こうして、ひとは山をも動かしていく。ひとはおのれの天命に従う限り、永遠に生きるのです。そう思えば死は怖れるに足らず、生もまた然りです。」

3月後半は、飛行船づくり

<img src=<img src=
   ツエッペリン号               ヒンデンブルグ号
今回で一応エアロベース社の飛行機類模型の組み立て作業は終わりとしました。